第一章
1
そいつにはじめて出会ったときのことは、今でもよくおぼえている。
あれは夏が終り、そろそろ秋がやってくるころのことだった。
だれもいない公園、すみっこにあるブランコ。
そいつは、たった一人でそこにいた。
二つぶらさがったブランコのうちの一つにスッと立った姿を、今でもはっきり思い出せる。
その少年は、公園の入り口に立つぼくの方を、じっと見ていた。
少年の立つブランコは、まるでだれものせていないように、ピタリと止まっている。
ぼくはなぜか、むねのあたりがザワザワと波立ってくるのを感じた。
さらりと肩までのびた長いかみ。
色白で細い顔だち。
黒く光る大きな目。
そいつはまるで、女の子のように見えた。
なぜ男の子だとわかったかと言えば、着ているトレーニングウエアやスニーカーの色・デザインからだ。
そいつは本当にきれいな顔をしていた。
テレビやマンガの世界には、よく「美少年」が登場する。
でもそれはオハナシの中だけのこと。
ぼくの身のまわりで、美少年とよべるヤツなんて、一人もいない。
それが、ここにいた。
ぼくは本物の美少年というものを、はじめて見てしまったんだ。
そいつとぼくがむかいあっている公園は、高いビルにかこまれた谷間のようなところにあった。
遊具と言えばブランコとすべり台、砂場だけ。
ベンチが二か所あり、入口あたりには小さな花だんもあるが、日当たりが悪いせいか、草花には元気がない。
赤いヒガンバナだけが、あちこちに咲いていた。
そう、その日はたしか、九月二十五日だった。
ちょうど秋のお彼岸がおわりかけていたので、日付けまでおぼえている。
ヒガンバナのさかりが、そろそろすぎようとしていたっけ。
公園のまわりには、背の低い木が何本かヒョロヒョロと枝をのばしている。
その中に、一本だけりっぱな大木がある。
クスノキだ。
歴史を感じさせる大木で、もしかしたら何百年も前からそこに立っているのかもしれない。
でも今は、まわりのビルのじゃまにならないように枝がかりこまれ、公園の中にきゅうくつそうに囲いこまれている。
まわりのビルと、みっしりしげったクスノキの枝のせいで、あたりはますますうす暗くなっている。
クスノキの下には小さな祠がある。
お稲荷さんらしく、オモチャみたいな扉の外には、やきものでできた小さな白いキツネが二匹ならんでいる。
祠の前には大人の背たけぎりぎりくらいの朱色の鳥居がならんでいて、おなじく朱色のノボリの列がある。
まだ午後六時までには時間があるはずだけど、あたりはすでにうす暗い。
ヒガンバナが咲いているので、いつもより公園の風景が赤く、それもあって、夕ぐれっぽく見える。
ぐるりと公園をとりかこむビルが、かたむいた太陽を早々にかくしてしまって、よそより早く日がくれているんだ。
お稲荷さんとヒガンバナの朱色がよく目立っている。
うす暗い公園で、そいつの顔だけが、白くうき上がっているように見えた。
ふと目が合った。
そいつはしばらくだまったままこちらを見つめ、それから「ニッ」と小さく笑った。
ぼくはぞくっとみぶるいした。
もう秋も近いから、Tシャツに半ズボンだとさすがに夕方は寒くなってくるのか……
でも、それだけじゃなく、ぼくはあることに気づいてしまった。
そいつの両手はブランコのロープをにぎっていなかった。
つまり、手ばなしでブランコの上に立っていたんだ!
すわっているならともかく、ブランコの板の上に、ロープをつかまず立つなんて!
ふつうならできるはずがない。
ただでさえむずかしいそんな芸当を、そいつはとくにバランスをとる様子もなく、こともなげに、ただスッと立っていたんだ。
はじめ、そのおかしさに気づかなかったのは、そいつがあんまり自然に、ムリなく立っていたせいだ。
いったい何者なのだろう?
はじめて会ったその瞬間から、ぼくはその美少年に夢中になってしまった。
2
ぼくの名前は鈴木ヒサト。
小学四年生。
ついでに言えば、チビでメガネをかけている。
からかって「メガネくん」とかよばれることもあるけど、仲のいい友だちは、そんなよびかたはしない。
ふつうに「ヒサト」とよぶ。
最近ハマっているのは公園のブランコだ。
夏休み明けからずっと続けている。
四年生にもなると、だいたいみんな、ブランコ遊びは卒業しているものだ。
でも、ぼくにはどうしても達成したい目標があった。
それは、ブランコを大きくこいで、一回転することだ。
ブランコ一回転!
それは、子供ならだれもが一度は目指す夢じゃないだろうか?
小さいころから公園でブランコに乗って、立ちこぎもできるようになる。
そして小学生になるころには、かなり大きくこげるようになる。
するとみんな「もっとこいだら一回転できるんじゃないか?」と、そんな風に考えるようになる。
でも、じっさいにためしてみて、かなり高くまではこげるけれども、それ以上はムリだとわかる。
ふつうは、そこであきらめる。
あきらめるというか、「ブランコ一回転」ということ自体を忘れてしまう。
小学生には他にいくらでも楽しい遊びがある。
新しいゲームとかね。
できもしないことにいつまでもこだわっているヒマはないんだ。
それでもごくまれに、あきらめない子どももいる。
一度ハマると、いつまでもそれだけをつづけてしまう。
はやりがおわって、みんな見むきもしなくなったあとも、一人でずっとそれを続けてしまう。
まわりがどう思おうと、関係なくなってしまう。
ぼくがまさに、そんなタイプだ。
その日もぼくは、小学校から帰ったあと、自転車に乗って近所の公園をめぐっていた。
今年の夏休みが終わってからの約一カ月、「一回転」を目指してみたが、まだ成功はしていない。
ブランコを横から見て水平ぐらいまでは行っている気がするんだけど、そこから先へは、なかなか進めないでいた。
ぼくはそれを「水平のカベ」とよんでいる。
ぼくだけじゃなく、一回転をめざした子どものだれもがぶつかる、大きなカベだ。
それでも「ブランコ一回転」という夢に向けて、わかってきたこともあった。
それは、一回転を目指すためには、乗るブランコをえらばなければならないということだ。
一口にブランコと言っても、大きさや材質に、それぞれちがいがある。
普通はそこまで意識しないんだろうけど、ぼくは本気で一回転を目指しているので、そのあたりを細かく調べつくした。
まず、つられているクサリが、長いものから短いもの、太いものから細いものまでいろいろあるんだ。
何本かの鉄棒を連結したものや、ロープのような材質のものもある。
すわる部分の板も、木のものからプラスチックのもの、ゴムでできたやわらかいものまで様々だ。
ぼくのこれまでの研究からいえば、一回転を目指すためには、まずブランコからえらばないといけない。
クサリはなるべく細く短いもの、できればロープのようなものがいい。
すわる板の部分は、木よりもプラスチックのほうがいいんじゃないかと思っている。
つまり、ブランコの高さはなるべく低く、重さはなるべく軽いほうがいいということだ。
自分の体重とプラスしてブランコ自体も軽く、高さが低いほうが、子どもの力で大きくふりやすい。
第一、あんまり高いブランコを大きくこぐと、こわい。
だからぼくの日々のトレーニングは、「一回転」にむいているブランコをゲットすることからはじまるんだ。
なるべく低く、なるべく軽く。
そういう条件に合うブランコは、ふつうの児童公園というよりは、どちらかというと小さい子用の幼児公園においてあることが多い。
ここで、ちょっと問題がおこる。
小さい子用のブランコを、小学4年生のぼくが、あんまり長い時間ひとりじめするのは、どうなんだということだ。
ぶっちゃけ、はずかしい。
小さい子の見ている前であぶないのりかたをするのも、ちょっとよくない気がする。
付きそいで来ているママさんたちの視線が、つきささってくる感じがする。
小学四年生としてそんなことがわかるくらいには、ぼくは空気読む方だ。
心おきなくトレーニングに集中するためにも、なるべく小さい子たちが少ない時間帯や、公園の場所をえらばないといけない。
家から自転車で通えるはんいで、トレーニングにむいた公園をいくつかピックアップして、まわっていく。
毎日つづけているうちに、あるていどトレーニングの時間やコースが決まってきた。
小さい子たちは、だいたい午後五時ごろにはおうちに帰ることが多い。
だから五時から六時までの一時間ほどが、ぼくの大切なトレーニングタイムになるというわけだ。
そいつに出会ったのも、そんなトレーニングタイムが終りにさしかかった時間、場所でのことだった。
3
時間はしばらく巻きもどる。
まだ夕方にはなっていない。
いくらかかたむいた太陽は、まだまだ高い。
ぼくはブランコに乗っている。
小一時間あとに、なぞの美少年と出会うのは、また別の公園、別のブランコでのことだ。
立ちこぎをしている。
ヒザで思いきりいきおいをつけ、一こぎごとにスピードをあげる。
ブランコのかたむきはだんだん大きくなってくるけど、そのうち限界がやってくる。
例の「水平のカベ」だ。
前の方にゆれきったちょう点で、足もとのブランコの板がふっと消えてしまったような感じになるんだ。
それ以上はちょっとこわくなって、こげなくなってしまう。
(もう少し、もう少し……)
頭ではいっしょうけんめいなんだけど、どうしても体の方がついてこない。
やがてぼくはあきらめ、立ちこぎをやめる。
まだ大きく動き続けているブランコの板にすわり、一息ついて、ブランコが自然に止まるまでのゆれに身をまかせる。
(どうしても、足もとの板が消えたみたいに感じたところで、それ以上はこげなくなっちゃうな……)
ブランコが止まったあとも、ぼくはしばらく考えつづけている。
(あの水平のカベをこえたら、一回転いけそうな気がするんだけど……)
問題は、そこだ。
水平のカベを真正面からこえるのは、たぶんムリなんだ。
なにか、もっとべつの方法は?
ブランコにすわったまま考えていると、小さい子たちがそのブランコ目当てに何人か集まってきた。
(そろそろ場所を変えるか……)
ブランコわきに止めていた自転車にまたがり、さっさとその公園をあとにする。
次のお目当てのブランコにむかって、ペダルをこいでいった。