htjc00.png

2014年05月04日

寺内町と鉄砲衆1

第五章「寺内町と鉄砲衆」

 昼休みに入ってからも、鉄砲演武の興奮は中々冷めなかった。達人クラブもマンガ部も歴史研究部も、口々に感動の言葉をのべてもりあがっていた。
 午後一時までのお昼休みに食事をとってから、お坊さんと鉄砲隊の皆さんに少しお話を聞けるということになり、子供たちはそれぞれにお店で食べ物を調達してきた。事前に「お祭会場で食事をするので、お弁当かお小遣いをもってくるように」という連絡があったのだ。
 斎木先生は小さなお弁当持参だったが、ほかのメンバーは、焼きそばやサンドイッチ、ちょっとめずらしいエスニック料理など、思い思いのお昼ご飯を買って持ち寄った。
 中でも目を引いたのはバンブーで、焼きそばとソーセージとチョコバナナなど、ほかの子供たちの三倍くらいの量をかかえてきて、小食な斎木先生をびっくりさせた。

htjc21.jpg


 石段を登りきったお寺の境内には、運動会の時みたいなテントがあって、控室として使われていた。浦小の面々はそこでお坊さんや雑賀鉄砲衆のみなさんと昼食をとった。
 鉄砲衆の人たちは、さすがに食事のときは兜を脱いでいたが、鎧は着たままだったので、動くたびにガシャガシャ音がして、なんだかものものしい雰囲気だった。
 衣を着たお坊さんや、鎧武者といっしょにお昼ご飯を食べるということに、最初はみんな緊張していたが、お坊さんも鉄砲衆も色々気さくに話しかけてくれて、すぐに打ち解けた。
 マンガ部の女子三人は、鉄砲衆の中の紅一点のお姉さんをとりかこんで、早くもあれこれインタビューを開始していた。
 食事が一段落したあと、子供たちからの質問に、お坊さんと鉄砲衆が答えてくれることになった。ここで活躍したのは学校一の秀才・トノサマ(殿山マサル)で、お祭当日までの下調べ、開会式でのお坊さんのお話や鉄砲演武のときのメモを材料に、さっそく質問を開始した。
(つづく)


posted by 九郎 at 22:00| 図工室の鉄砲合戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

寺内町と鉄砲衆2


「いくつかお聞きしたいことがあるんですけど、いいですか?」
 トノサマがノートを開きながら言った。
「これはこれは、さすがに殿山の坊ちゃんは研究熱心だね」
 地元の旧家の子弟とお寺さんは、もちろん旧知の仲である。お坊さんは楽しげに目を細めた。山賊の大将みたいだった顔に、とたんに愛嬌が出てきた。
「開会式のご挨拶に出てきた『石山合戦』というのは、たしか織田信長が今の大阪城のあたりにあった本願寺の土地をうばおうとして、十年間ぐらい戦争したんですよね? この二子浦は、大阪とはすごくはなれているんですけど、どのように関係があったのか、教えてください」
「なるほど。もっともな疑問だね。その説明にはまず、戦国時代と現代の、交通手段のちがいについて、考えてみたら良いと思う」
「え? 交通手段ですか?」
 さすがの学校一の秀才も、少し戸惑った様子だ。
「現代なら、人や物が移動する手段には色々あるね。自動車や鉄道、飛行機もあるし、もちろん船もある。ところが戦国時代はどうだっただろうか?」
「昔のことだから、自動車や鉄道、飛行機はダメですね。すると陸上では徒歩か牛や馬、海や川の場合は船ですか……」
「その通り。戦国時代には、一番速くて輸送力があったのは、船による水運だったんだよ。中でも瀬戸内海は、当時の日本の物流の大動脈だったんだ。今の大阪城あたりにあったと言われる石山本願寺は、京の都や琵琶湖から続く川の道、紀伊半島へと続く海の道、それに大動脈である瀬戸内海を結ぶ、絶好の立地だったんだね。信長は経済活動にものすごく力を入れていたので、単にお城の場所として大阪を欲しがったわけじゃなくて、石山本願寺がにぎっていた物流の力を、まるごと手に入れようとしたんだよ」
 顔に似合わず、お坊さんはけっこう勉強家であるようだった。
「戦国大名同士の戦いはふつう、陸上だけで決着がつく領地の奪い合いだった。ところが本願寺の場合、系列のお寺がそれぞれに寺内町をつくり、その寺内町同士が水運でつながって、人やモノや情報を当時最速のスピードでやりとりしていたんだよ。だから信長は大阪一か所を包囲して十年間戦ったわけではなくて、全国的な寺内町のつながりそのものを相手に戦争をしかけたんだね」
「あ、ちょっとわかってきました! 大阪から遠い二子浦にも、この来光寺を中心にした寺内町があったから、石山合戦に参加することになったんですね?」
 お坊さんは満足げにうなずいた。
「信長VS本願寺、信長VS一向一揆というと、どうしてもお寺にムシロ旗をかかげた農民たちが立てこもって、念仏を唱えながら竹槍を振りかざしているようなイメージになるんだが、実際の一向一揆衆には、武士も農民も、商人も職人も、漁師なんかもふくめて、あらゆる身分の人々が力を結集していたんだ。とくに、海賊とか水軍とか呼ばれる、瀬戸内海周辺を拠点にしていた勢力には、一向一揆に参加した人々が多かった。紀州の雑賀水軍や、中国の毛利水軍なんかがその代表で、彼らの軍事力がなかったら、さすがの本願寺もそんなに長く抗戦することはできなかっただろうね」
「う〜ん……なるほど……」
 トノサマはしばらく何事か考えこんだ。さすがの秀才も、教科書にのっている以上に踏み込んだ内容に対しては、頭の整理が必要になってくる。
「なぜ本願寺の寺内町には、そんなに色んな人々が集まっていたんですか?」
「戦国時代というのは弱肉強食で、武力をもつものが好き勝手をやったり、人間が牛や馬のように売り買いされることがふつうにあって、人の命というものが本当にはかない時代だった。ところが本願寺の教えでは、仏様の前で人はみんな平等だとされているからね。当時、差別されていた身分の人もみんな仲良く力を合わせることができたんだろう。日本は伝統的に、平地の農民が模範的な『良民』と考えられがちだったんだが、本願寺の寺内町には色々変わった人たちが集まって、仲良くにぎやかに過していたんだよ」
(へ〜)
 横で話を聞いていたコーサクも、思わず興味をひかれた様子だ。
(ぼくらの『達人クラブ』も、戦国時代の寺内町なら活躍できたかもしれないな。今だと単なる変人扱いだけど……)
 お坊さんは熱心に話を続けた。
「弱肉強食の地獄のような外の世界にくらべれば、一応平等な寺内町の生活を、この世の極楽のように感じる人々は多かっただろうね。自分たちが力を合わせ、苦労して作り上げた生活を守りたいという願いがあったからこそ、あの織田信長を相手に、十年間もねばり強く戦い抜くことができたんだと思う」

htjc22.jpg


 お坊さんのお話が佳境に入るにつれ、トノサマは途中何度かメモのための時間をとってもらいながら、興味深そうに何度もうなずいていた。
「でも結局、本願寺は負けたんですよね? 敗因は何だったんですか?」
「一言でいうと、寺内町同士の『つながり』を分断されたことだろうね。土地と国境にしばられた戦国大名に対して、本願寺の強みは国境を越えた、今風に言うとネットワークの強みだったわけなんだが、信長はそれを上手く分断して、一か所ずつ潰していったんだ。その後の日本は、信長、秀吉、家康という天下統一のリレーの中で、武士を頂点にした身分制でがっちり固められて行くことになった。だが、もし石山合戦がもう少し長引いていたら、そういう形の日本にはならなかったかもしれない。身分にしばられない寺内町の自治のあり方が、もっと広まる可能性があったかもしれないと、私は考えているんだよ」
 質問しているトノサマをはじめ、聞いていた小学生たちは、一様に「へ〜」と感心した顔になっていた。
「わたしには、寺内町のにぎわいを現代によみがえらせたいという夢があるんだ。今回のお祭が、その第一歩になればいいと願ってる。これからも色々な行事をやっていくから、浦小のみんなもぜひ参加してください。どうかよろしく!」
 開会式でお坊さんの挨拶を聞いた時に感じたことが、よりわかりやすく頭に入ってくるような気がした。学校で習う日本史とはまったく違う物語があって、その物語が自分のよく知っている土地を舞台にしていたらしいことに、なんとも言えず、心がわくわくしてきたのだ。
 トノサマはこまごまとメモを取ったあと、話題を変えた。
「石山合戦全般については、以上です。あと、火縄銃についても質問があるんですけど、いいですか?」
「鉄砲については、私より孫末さんの方が詳しいから、あとはそちらに引きついでもらおうかな」
(つづく)
posted by 九郎 at 22:00| 図工室の鉄砲合戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

寺内町と鉄砲衆3


 お坊さんが、鉄砲演武の時に采配をふるっていた人を紹介してくれた。
「こちらは雑賀鉄砲衆のリーダー、雑賀孫末さん。孫末さんは、お手製の鎧兜の鉄砲衆を引き連れ、全国のお祭に出張して、雑賀衆を紹介してまわってるんだよ。それじゃあ孫末さん、あとはよろしくお願いします」
 兜は脱いでいるが、鎧は着たままのヒゲ面のおじさんが、ニコニコ笑いながらあとを引き受けた。
「こんにちは。おじさんの知ってる範囲で、質問に答えさせてもらうよ」
 さっそく殿山マサルの質問が始まる。
「よろしくお願いします。では最初にちょっと確認しておきたいんですが、今日のお祭でも、さっきのお坊さんのお話でも、『雑賀』のことを『さいか』と読んでましたよね? 僕は今までずっと『さいが』だと思ってたんですけど。どちらが正しいんでしょうか?」
 そう言えば、自分もなんとなく「さいが」だと思っていた、とコーサクは思う。
 さすがトノサマは細かいところまでよく気がつくなと感心した。もっとも、その細かいところまでよく気づく性格のせいで、金曜日の理科の時間、雲の観察発表ではやりこめられてしまったコーサクだったが……
「読み方については、『さいか』が正解だね。今の和歌山市周辺のことを昔から『さいか』と呼んでいたんだよ。漢字の『雑賀』は後から当て字されたもので、漢字の『賀』の字の印象から『さいが』とも読まれるようになったんだろうね」
 あまりにも興味津々で、思わずコーサクも横からわりこんで質問する。
「おじさん、雑賀孫末って本名ですか? もしかして戦国時代の雑賀孫市の子孫なんですか?」

htjc23.jpg


 孫末さんは笑って答えた。
「もちろん本名じゃなくて、芸名みたいなもんだね。ふだんは普通に仕事をしていて、鉄砲衆は趣味だから。最近は本業以上に本気の趣味になってしまったが、実際の雑賀衆の子孫という訳じゃないんだよ。それに、さっきも言ったように『雑賀』というのは地名で、戦国時代にそういう名字の人がいたわけじゃない」
「じゃあ、マンガやゲームに登場する雑賀孫市は、本当はいなかったんですか?」
「いやいや、『雑賀孫市』のモデルになった人はちゃんと実在した。鈴木重秀孫一という人でね。石山合戦で織田信長を苦しめた雑賀衆のリーダーは、間違いなくこの人物なんだ。凄腕のスナイパーだったことも、まず間違いない」
 トノサマは、マンガやゲームにかたむきそうになる話の流れを軌道修正するように、自分の質問を続けた。
「孫末さんたちは火縄銃を訓練してますけど、現代に火縄銃が使われることって、あるんでしょうか?」
「火縄銃というのは古い武器なので、実戦に使われることはもうないだろうね。私たちがやっているのは『砲術』という古武術の一種としての鉄砲術だよ」
「それは戦国時代に使われていたのと同じものなんですか?」
「私たちが学んでいる砲術は、主に江戸時代から紀州に伝わっていたものだから、戦国時代の雑賀衆の技術とは違うところもたくさんあるだろうね。たとえば、さっきの演武ではかけ声とともに一斉射撃をやっていたけど、実際の戦場では、おそらくそれは無理だったんじゃないかと思う」
「でも、有名な『長篠の戦い』では、一斉射撃が行われたんじゃないんですか?」
「キミが言っているのは、織田軍の『三段撃ち』のことかな?」
「そうですそうです! 三千丁の鉄砲を三隊にわけて、弾こめに必要な時間を節約したという、あの戦術です」
 めずらしくトノサマが声を高めた。戦国好きの小学生がまず心おどらせるのが、織田軍の鉄砲隊の強さであり、信長の天才的な戦術だ。それがもっともよくわかる形で表れているのが、織田鉄砲隊が武田騎馬隊を打ち破った、いわゆる「鉄砲三段撃ち」なのだ。
「いろんな意見があるけど、私はあの『三段撃ち』という戦術は、実際は無かったんじゃないかと思う」
 意外なことを聞く、という風にトノサマは首をかしげる。
 孫末さんは、疑問を解き明かすように順に話を進めていく。
「ちょっと整理してみようか。キミたちはさっきの鉄砲演武を見て、どんな感想を持ったかな?」
 コーサクがすぐに答える。
「とにかく、音と火柱がものすごかったです!」
 トノサマはそれに続いて、もうすこしくわしい感想を述べる。
「発砲した時の音と火柱自体が、敵を威嚇し、すくみあがらせる効果があったんじゃないかと思いました。直接弾が当たるかどうかは別にしても、ぜったいに銃口のむこう側には立ちたくないと思ったなあ……」
「音と火柱か。なかなか良いところを見ていたね」
 孫末さんはうなずきながら続けた。
「今日の演武ではせいぜい5〜6丁だったけど、石山合戦や長篠の戦いでは、両陣営あわせて数千丁の鉄砲があったと考えられる。それだけの鉄砲が戦場に持ち込まれていたということは、当然、火薬も大量に持ち込まれていることになるね。火縄銃というのは名前の通り、縄に火をつけ、むき出しの火薬を銃身に詰め込んで使うんだけど、そのときの注意点はなんだと思う?」
「暴発や引火事故ですか?」
「そのとおり。実際たびたび暴発や引火事故は起こっていたんだよ。ただでさえ危険なのに、場所は何が起こるか分からない戦場だ。一発鉄砲を放てば、キミたちも体験したとおりのものすごい音がひびく。何千丁も鉄砲があれば、人間の声なんてまったく聞こえなくなっただろう。おまけにあの火柱だ。あたりには火薬がこまかな粉じんになって飛び散り、ますます引火の危険性は高まってくる。そんな状況で、技量のバラバラな多人数の射手が、号令に従って整然と一斉射撃を行なったり、鉄砲を持ったまま交代のためにばたばた走りまわったりするのは、ちょっと無理があると思う。いちばん安全で効率的なのは、個別の撃ち手チームそれぞれが、それぞれの判断で射撃を行うことだと、私はそう考えるよ」
 トノサマをはじめとする一同は、う〜んと考え込んでしまった。織田信長の有名な戦術が無かったかもしれないというのは、いかにも残念だった。それでも実際に火縄銃の射撃を目にして、順を追って説明してもらうと、「やっぱりなかったのかなあ」と納得せざるをえなくなる。さっきまでのお坊さんのお話でも感じたことだが、歴史の実際を考え始めると、無邪気な信長ファンであることがむずかしくなってくるようだ。
「信長軍は石山合戦で本願寺がたの雑賀鉄砲衆に手を焼いたので、直接紀州の雑賀の地に攻め込んできたこともあるんだよ。数万の圧倒的な軍勢で攻め寄せてきたのに、わずか数千の雑賀衆に手こずって滅ぼしきれなかった。実質的には『攻め入ったけど追い払われた』という結果になったんだ。この雑賀合戦は、有名な『長篠の闘い』のあとにあったので、もし織田の鉄砲隊が戦国最強だとすると、おかしなことになってしまうね」
 確かにその通りだ、と浦小の面々は思った。
「ただ、『だから信長は強くない』ということにはならないんだ。信長には広い視野があったことは確かで、鉄砲戦術だけではなくて、政治、外交、経済、すべての手段を使って勝利をおさめる能力が高かったことは間違いない。結局、本願寺も雑賀衆も、総合力では信長にはかなわなかったんだよ」
 基本的に信長ファンの多い小学生たちは、孫末さんのまとめにホッと一息ついた。しかしこれまでのように無邪気な信長ファンではいられそうにない。
 さて、そろそろ質問もなくなったかな? という雰囲気になったとき、それまでだまって話を聞いていた美術部監督の三又先生が、口を開いた。
「コーサク、このまま終わっていいのか?」
 一同が三又先生を見、それからメガネをかけた小柄な少年を見た。
(つづく)
posted by 九郎 at 22:18| 図工室の鉄砲合戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

寺内町と鉄砲衆4


「どうしたコーサク、ほら言えよ!」
「でも……やっぱり、なあ」
 困ってタツジンとバンブーの方をふりかえるが、二人ともそっぽを向いている。一人は無口で孤高をほこる達人、もう一人はまだ入部したばかりの転校生。
(まいったな……やっぱりお願いするとしたら、ぼくが言うしかないよな……)
「じれったいやつだな。仕方がない、おれが言ってやるよ!」
 三又先生は孫末さんにこう言った。
「孫末さん、実はわが二子浦小学校にも、凄腕の鉄砲隊がいるんですよ!」
「ほう?」
「こいつら三人、美術部で輪ゴム鉄砲を手作りして、日々修行を積んでるんですが、熱心なのでかなりの腕前になってます。こいつらの輪ゴム鉄砲演武も一度見てやってもらえませんか?」
 突然の申し出に戸惑っていた雑賀孫末さんも、事情がわかるにつれて、だんだん笑顔になっていた。そして、興味津々という感じで、三人に声をかけた。
「なるほど、それは面白そうだ! 君たち、ぜひ見せてくれんかね?」
 ここまできては、達人クラブの三人もあとには引けない。
「う〜ん……、じゃあ、やるか?」
 コーサクの一言に、タツジンとバンブーも大きくうなずいた。
 三又先生はあたりを見回し、ふと気づいたようにお坊さんに言った。
「そうだな、ここで演武をやると輪ゴムの後片づけが大変だ。まことに厚かましいんですけど、どこか屋内で広さのある所をお借りできませんでしょうか?」
 それなら本堂へ、ということで一同場所を移すことになった。
「斎木先生、ぼくたちは三人の腕前はよく知っているので、ここはちょっと失礼して、お寺の周りの取材に行ってきていいですか?」
 歴史研究部を代表して、トノサマがおうかがいをたてた。斎木先生はうなずいて、「じゃあ私はそちらについていこうか」と言うことになった。
 お坊さんと鉄砲衆、浦小美術部(先生一人、男子三人、女子三人)は、お寺の広い本堂へ移動した。コーサクは、旅館以外でこんなにたくさんの畳を見ることはめったにないと思った。
 的を配置するために、パイプ椅子をいくつか貸してもらった。お寺には足腰の弱ったお年寄り向けに、けっこうたくさんのパイプ椅子があるのだ。
 達人クラブの三人が、それぞれのリュックから新作の輪ゴム鉄砲、輪ゴム、戦国フィギュアを取り出すと、孫末さんが「ほう」とつぶやいた。輪ゴム鉄砲と聞いて、よくある「割りばし鉄砲」のようなものを思い浮かべていたのだ。
 子供の工作を見学するつもりが、思いがけず本格的な作品が登場したことにおどろいたのだ。
 椅子を横一列にすき間なくならべ、的の戦国フィギュアをあるていど間かくを開けて配置する。このあたりはいつも図工室でやっているのと同じだ。
「じゃあ、さっきの演武みたいに、一斉射撃をやってみようか」
 コーサクが提案すると、タツジンとバンブーがうなずき、的から畳の短い辺三つ分ほどはなれたところに整列する。
「距離は約2・7メートル」
 タツジンが目測で見当をつける。
「けっこう遠いね」
 孫末さんが、「大丈夫か?」という感じで一言感想を述べる。これだけ離れると、けっこう戦国フィギュアが小さく見える。
「輪ゴムかけ!」
 コーサクがついさっき見たばかりの演武のかけ声をまねると、タツジンとバンブーが「プッ!」と笑いながらも、すぐに真顔になって輪ゴムを装てんした。
「構え!」
 三人はそれぞれの輪ゴム鉄砲をかまえた。鉄砲衆の演武とよく似た半身の両手構えだが、これはマネではなく、独自の修行のたまものだ。
「むかって右はしから一斉に三体撃つよ。それぞれバンブー、タツジン、ぼく」
 ピタリとねらいをつける。銃身はこゆるぎもしなくなる。

htjc24.jpg


「はなて!」
 ビシュン!
 三つの輪ゴム鉄砲が、たった一つの音をたてた。次の瞬間、パイプ椅子の上では右はしから三体の戦国フィギュアがたおれた。単に「当てる」だけではなく、正確にフィギュアの頭部あたりを打ち抜かないと、たおれない。
「お見事!」
 孫末さんが小さくつぶやき、ほかの雑賀鉄砲衆のみなさんの口からも、ほうとため息がもれる。
「次は連続射撃をやってみよう」
 緊張の一発目を見事に決め、すっかり調子が出てきた浦小鉄砲隊は、次々にさっき見た演武をまねてみせる。輪ゴムかけ、構え、のかけ声のあと、コーサクが一発目と同じ指示を出す。
「左から三体、それぞれ」
 しばらくねらいをさだめる時間をおいてから、「はなて!」と号令。
 ビシュン! ビシュン! ビシュン!
 今度も全弾命中したが、コーサクの的だけたおれなかった。
(チェッ! ちょっと調子にのったな!)
 くやしい思いをするが、つづくいくつかの試射では、大きく失敗せずにすむ。やはりタツジンはほとんどはずさない。コーサクとバンブーは、ときにはずすこともあるが、八割以上は命中させる。
「じゃあ、今度はタツジンの早撃ちを見てもらおうか」
 タツジンは軽くうなずいて、的からの距離はやや短め、約1・8メートルの位置に立った。パイプ椅子を一つ、自分の右側に置き、その上に輪ゴムを一つかみ、パラッとのせる。
 的は五体の戦国フィギュア。しばし呼吸を整えてから、早撃ちを開始する。輪ゴムをかけてからねらいをつけ、引き金を引く。
 その間、3〜4秒。
 一連の動作はよどみなく、ただ無造作に引き金を引いているとしか見えないのに、全弾命中する。
 これにはさすがの孫末さんたち雑賀鉄砲衆も、言葉が出ない。
 予想を大きく上回る技量に、ただ圧倒されている。
「コーサクも遠距離射撃を見てもらえよ」
 タツジンが、コーサクの背中をバンッとたたきながらうながす。
「でもあれはまだ……」
「いいから、いいから、やってみろって!」
 バンブーにも背中をたたかれ、しかたない、やってみるかという気になった。
(つづく)
posted by 九郎 at 21:57| 図工室の鉄砲合戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

寺内町と鉄砲衆5


「今からやる演武はまだ練習中なので、うまくいくかどうかわかりませんが、とにかくやってみます」
 コーサクは観客達の方をふりかえりながら言った。
 的用のパイプ椅子を一つ、本堂のはしぎりぎりのところに置いた。そこから畳の長辺で五つ分、距離にして約9メートルのところに、もう一つ椅子をおいた。あらためて、本堂の広さがわかる。小学校の図工室と同じくらいありそうだ。
「ここから輪ゴムを撃って、むこうの椅子にのせられます」
「ちょっと遠すぎないかい? とても届かないだろう」
 孫末さんが聞いてくる。
「はい、ふつうの輪ゴムだと無理なんですけど、これなら届きます」
 リュックからゴム幅1センチほどの大型ゴムバンドをとりだした。
「すみません、まだ修行中なので、一発練習してから本番にします」
 コーサクはそう言ってから、自分の近くに置いた椅子の背の部分のうしろにひざをついた。
 輪ゴム鉄砲に大型ゴムバンドをかけ、的との距離を何度も確認しながら、銃身を椅子の背にのせて角度を固定した。設置した椅子に銃身をのせるのは、手で固定するより確実だからだ。

htjc25.jpg


 ためしに一発撃ってみる。
 バシュッ!
 野球の遠投のように、やや山なりに飛んだゴムバンドが、椅子の手前に落ちる。コースは合っているが、飛距離が足りなかった。
(うん、なんとか感じはつかめたかな……)
 ちょっとまよったが、思い切って宣言する。
「じゃあ、本番行ってみます!」
 さっきの試射より、銃身の角度をわずかに浅く固定した。これで飛距離が少しのびて、椅子の上にのるはずだ。祈るような気持ちで引き金を引く。
 バシュッ!
 大型ゴムバンドが「ブン」とうなりながら舞い上がる。ゆるい山を描きながら飛んだバンドは、勢いを失いながら落下し、そして……
 吸い込まれるように椅子の上に着地した。
「おお〜!」
 見ていた大人たちの口からどよめきがもれ、自然に拍手が起こった。
「いやいや、実にすばらしい!」
 孫末さんが拍手しながら三又先生に声をかけた。
「この鉄砲作りや射撃は、先生がご指導なさったんですか?」
「ほとんど子供たちが自分自身でやってるんです。私がやったのは、去年、割りばし鉄砲の作り方を教えたことだけで」
「なるほど……」
 孫末さんは少し考え込んだあと、ニコッと笑って工作隊の三人を見た。
「ありがとう、素晴らしい演武だったよ。もしよかったら、ちょっと君たちの鉄砲を見せてもらえないか?」
 どうぞどうぞと、コーサクが自分のものを手わたす。孫末さんは手にとった輪ゴム鉄砲をあちこちからながめ、自分でも構えてみたりした。
「う〜ん、『目当て』にあたる部分もちゃんとあるし、なかなかしっかりした作りだ。キミたちは習ってもいないのに、砲術というものの基本ができているね。さっきの遠距離射撃のやり方なんて、大筒を使った砲術そのものだったよ」
 お世辞ぬきで感心してくれているようだ。
「キミたち、名前はなんと言うんだい?」
「ぼくは鈴木ヒサト。みんなにはコーサクって呼ばれてます。こっちが土橋(どばし)タツジ、タツジンです。もう一人が佐竹アキノブ、バンブーです」
「ふ〜む、鈴木くんに土橋くん、そして佐竹くんか……」
 孫末さんは腕を組んで何事か考えていた。
「偶然なんだろうけど、君たち三人の名字は、戦国時代の雑賀衆のリーダー格の中にもいたんだよ。雑賀孫市の名前で有名な鈴木孫一、『どばし』ではなくて『つちはし』と読む土橋若大夫、それに少し字は違うが、佐武伊賀守(さたけいがのかみ)。いずれ劣らぬ鉄砲名人だったという。どうだい、面白いだろう?」
「へ〜、そうなんですか!」
 演武を行った少年たちは、意外な指摘におどろいた。なんだか自分たちが、戦国時代の鉄砲衆とつながりがあるような気がしてきた。
「なんにしても、今日はおじさんたちも大変いいものを見せてもらったよ。わざわざ和歌山から出てきたかいがあった。本当にありがとう」
 そして孫末さんは最後に、うれしい提案をしてくれた。
「ささやかなお礼に、キミたち少年鉄砲隊に、砲術の心構えや、戦国時代の雑賀衆が実際に使っていたという戦術を、いくつか教えてあげよう。それは、本当にあったかどうか疑問の残る『三段撃ち』なんかより、はるかに合理的な技なんだよ」
 思わぬうれしい提案に、子供たちは、ワッと盛り上がったのだった。
(第五章おわり。第六章「開戦前夜」につづく)



次章より

 急 展 開 !



posted by 九郎 at 21:57| 図工室の鉄砲合戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。