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「ヒサト、どうした? お母さんがいってたけど、昔の小学校のことで、なんか聞きたいんだって?」
リビングに入ると、おかずをつまみながら、お父さんが声をかけてきた。
一杯やって、きげんはいいようだ。
ぼくは、ちょっと洗たく機の音に耳をすました。
母さんの洗たくはいつおわるかわからない。
時間がもったいないので、前おきぬきで単刀直入に聞くことにした。
「お父さんは、小学生のころブランコで一回転したことある?」
ぶうううっっっっ!!!!
お父さんは、口にしていたお酒をふき出した。
つづいて、ゲホゲホとせきこむ。
その反応に、ぼくは手ごたえを感じた。
(これはビンゴだな……)
お父さん、どうやら心当たりがあるらしい。
「ヒサト、おまえそれ、だれに聞いたんだ?」
ゼーゼーいいながら、お父さんが聞いてくる。
ぼくは、これまでのことを手短に説明した。
二子浦小学校に昔から伝わってる「十年前にブランコ一回転に成功した伝説の子ども」のウワサ。
トノサマやタツジンと調べたところ、ブランコ一回転は、どうやら不可能であるらしいこと。
昔のことを知っているマサムネ先生にたしかめてみると、うちの小学校では、何年かに一度、「ブランコ一回転さわぎ」がおこるらしいこと。
とくに二十二〜三年前の、最初のブランコ事件ではケガ人まで出たらしいこと。
などなど……
ぼく自身がブランコ一回転にチャレンジしていることは、念のためふせておく。
すると自動的に、レンのことも話さないでおくことになる。
「マサムネ先生って、梶原マサムネ先生か?」
「うん、そう」
「そーかー。そういえばあの先生、まだいるんだったな……」
お父さんは少し考えてから、決心したようにいった。
「あのな、ヒサト。その〜、最初のブランコ一回転事件で出たケガ人っていうのは、実はオレのことだ」
(ゲッ!)
ぼくはびっくりした。
最初のブランコ事件でケガをした、二子浦小学校伝説お調子もの!
その当人が、今目の前にいる!?
しかもそれが、他ならぬぼくのお父さん!
(お父さんって、もしかして、バカなの?)
もちろん声には出していない。
「まて! おちつけ! おまえ今、オレのこと、バカだって思っただろ?」
「……いやぁ、……べつにぃ……」
「い〜や、思ってる! その顔は完全にバカにしてる!」
お父さんはそこまで言ってから、思い出したようにコップのお酒を一口飲んだ。
そして、ため息を一つついてから、再び話し始めた。
「いいか、ヒサト。これにはな、深〜〜〜〜いわけがあるんだ。たしかにオレはあんまり頭の良くない子どもだったけど、いくらなんでも、ブランコ一回転が本当にできるとは思ってなかったぞ!」
「でも、チャレンジはしてたんでしょ? それでやりすぎて、ブランコから落ちてケガしたんでしょ?」
やっぱりバカじゃんと思いながら、ぼくはつっこみを入れた。
「それはまあ、その通りなんだけどな」
ゴホンと一つせきをして、お父さんはすわりなおした。
「じつはな、あのころ、ちょっとふしぎなことがあったんだ」
お父さんの話は、こうだった。
「いつごろからだっただろうな。たしか、夏休み明けごろだったから、ちょうど今と同じ、九月のことだったと思うんだけど……。
このあたりの公園で、ブランコのすわる板の部分が、上の骨組の鉄棒に、ひっかけられてるイタズラが連続するようになったんだ。
はじめはたんなるイタズラだろうと、だれも気しなかったんだが、あんまりつづくし、だれも犯人を見かけたことがないのがふしぎだった」
「……!?」
意外な話のなりゆきに、ぼくは言葉が出てこなくなった。
なんてことだ!
今このあたりでおこっているイタズラ事件と、まったく同じことが二十三年前にもおこっていたとは!
お父さんはつづける。
「それで、なんとか犯人を見つけてやろうと思って、お父さんは放課後、あちこちの公園をパトロールすることにしたんだ。一週間ぐらい見回ったんだけど、なかなか犯人は見つからなかった。そのかわり、普段このあたりではあまり見ない、かわったヤツをたびたび見かけるのに気づいた」
「かわったヤツ?」
お父さんは、チラッとリビングのドアの方を見た。
まだ洗たく機の音は続いている。
この音は脱水。
大丈夫。
もうしばらくは、お母さん抜きで話がつづけられそうだ。
お父さんは、コップのお酒を一口のんだあと、少し声をひそめながらつづけた。
「それがな、見たこともないほどのすごい美少女なんだ」
「美少女って……女の子?」
「そう、びっくりするほどきれいな女の子。すらっと細くて背が高くて、長いかみの毛を頭のうしろで一つにたばねてた……」
お父さんはまた一口、お酒をのむ。
「年はたぶんお父さんと同じか、ちょっと下くらいだと思うんだけど、小学校ではぜんぜん見かけたことがなかった。
あの顔は一回見たらわすれるはずがないから、きっとよその学校の子だったんだろうと思うけど、だれともしゃべらないで、いつも一人で遊んでいた。
いや、遊んでるというより、なにかトレーニングをしてるみたいだった。
すごい美少女なのに地味なジャージを着て、鉄棒やブランコをしたり、柔軟体操みたいなのをやっていた。
今かんがえると、なにかのスポーツの選手だったのかもしれないなあ。
ブランコの犯人をさがしてあちこちの公園をまわると、たまにその女の子を見かけるようになって、今度はそっちが気になりはじめた。
なにせすごい美少女だから、どこのだれなのか知りたかったんだが、いつもニコリともせずに一人でハードトレーニングをやってて、ちょっと話しかけづらい。
しかたがないから、その女の子を横目に、同じ公園でしばらく遊んだりしていた。
一週間ほどそんなことをやってるうちに、ある日、事件がおこった」
「事件?」
「その日もお父さんは、公園でその女の子を見かけた。
どうしようかと思ったけど、話しかけられなかった。
もう夕方で、ほかにはだれもいなかった。
女の子はブランコをやってる。
ものすごく大きくこいでいて、ブランコがほとんど水平になるぐらいだった。
やっぱりなにかのトレーニング中みたいだったな。
しかたがないから、お父さんは同じ公園で、木のぼりなんかをしていた」
「木のぼりって、もしかして駅前のいなり公園のクスノキのこと?」
このあたりには、ほかにのぼれるような大きな木のある公園は少ないのだ。
「よくわかったな。そう、あの公園だった」
ドクンッと、ぼくのむねが鳴った。
ぼくがレンと会ってるのと、同じ公園だ……
お父さんはつづける。
「それから、木にのぼって女の子から目をはなしてた時、急に『ガシャーン!』と大きな物音がしたんだ。
なにごとかと思ってブランコの方を見たら、女の子がブランコの手前の方にしゃがみこんでいて、そのうしろではブランコがでたらめにグラグラゆれていた。
びっくりして、思わず木の上から『おい、だいじょうぶか?』と声をかけた。てっきり女の子がブランコから落ちたと思ったんだ。
でも女の子は、なにごともなかったようにスッと立ちあがって、こっちを見た。
しばらくジーッとこっちを見たあと、そのまま走ってどこかへ行ってしまった」
「平気で走って行ったってことは、ケガはなかったんだね?」
「そうみたいだな。ブランコを高くこぎすぎて、落ちたってことはなさそうだった。
あわてて木からおりてブランコを調べてみると、ロープが上の鉄棒に一回引っかかってぶら下がっていた。
はじめからちゃんと見てたわけじゃないけど、女の子がブランコにのってたときは、ふつうだったはずだ。
どういうことか、しばらくかんがえて、背すじがゾクッとした」
「まさか、お父さんが木のぼりでしばらく目をはなしてるあいだに……」
「そうそう、女の子がブランコで一回転したことになるんじゃないかと思ったんだ……」
ぼくはゴクリとつばをのんだ。
「あとから何回も思い出してみたんだけど、やっぱり一回転したとしか思えなかった。
木のぼりで女の子から目をはなしたのは、ほんの短い時間だったはずだし、その間もブランコをこいでる音はずっと聞こえてた。
わざわざブランコの板をもちあげてひっかけたなんてことは、ぜったいなかったはずだ。
なあ、ヒサト、おまえどう思う?」
ぼくは、なんとも答えられなかった。
お父さんの様子は、まるで昨日見たばかりのふしぎな事件のことを話すようだった。
よほど強く記憶にのこった、わすれられない事件なのだろう。
「女の子が本当に一回転したのかどうか、どうしてもたしかめたくて、それから自分でもためしてみるようになった。
友だち何人かに女の子のことをはなしたら、あっというまにウワサになって、小学校中でブランコ一回転が大流行しはじめた。
なにせ、とてもムリだと思ってた一回転を、本当にやったかもしれない子供の目撃情報が流れたんだから、みんな本気になる。
それで、いいだしっぺが負けちゃいけないと思って、気合いを入れてブランコをこいでるうちに、オレは落ちてケガをしてしまったってわけだ」
「ちょっと待って! ということは……」
ぼくばしばらく頭を整理してから言った。
「お父さんが最初のブランコ事件がおこるきっかけを作った、その張本人じゃん!」
「ひ、人聞きの悪いこというな!」
お父さんはあわてて手をふった。
「きっかけの張本人は、オレじゃなくてその女の子だろうよ! むしろオレは被害者じゃないか?」
「……そーかなー。じゃあ、その女の子はどうなったの?」
「わからん。それっきり見かけなかった。本当に一回転したのかたしかめたくて、あちこちさがしたんだけど、もうどこにもいなかったなあ……」
そこまではなした時、洗たくのおわったお母さんが、リビングに顔をのぞかせた。
「なに二人でもりあがってんの? ヒサト、お父さんに昔の小学校のこと、聞けた?」
ぼくとお父さんは、あわててうなずいて、過去の悪事の話題を切り上げたのだった。
ちょっと疑わしそうにこっちを見たお母さんは、ふと思い出したようにぼくに言った。
「そうそうヒサト、明後日の日曜日なんだけどね、ちょっとおばあちゃんにつきあってあげてよ」
「ええ〜、どうして?」
「おばあちゃんから電話があってね、ヒサトとお芝居を見に行きたいんだって。あんた駅前の劇場でやってるお芝居のことで、おばあちゃんと何か話したんでしょ?」
そう言えばそんなこともあった。
ブランコの練習で通ってるいなり公園、その近くにある劇場でやってる時代劇のこと、おばあちゃんに聞いてみたんだった。
「せっかくおばあちゃんがさそってくれてるんだから、行ってらっしゃいよ。明日は映画だし、明後日はお芝居なんて、あんたうらやましいわ!」
もともと興味はあったので、ぼくはおばあちゃんとお芝居を見に行くことにした。